もちろん点数にあらわれない力があるというのは誰も認めているけれども、点数が無意味だということはもう言えなくなってしまった。
すごく大きな変化ですし、私自身、その変化に驚いています。 論争を考えるということは、次の展望を考えることです。
対立の軸のずれだとか、次に何をしなければいけないかということか見えてこないといけないわけですね。 ただし、対立の軸をどのようにとらえればいいのかは、それほど自明ではないし、きちんと論じられているわけでもない。
だから、『敵と味方』が錯綜する。 この問題については、私自身、この論争を総括する気持ちも込めて分析したいと思っています。
この論争は、全国学力調査の結果をふまえて、次なる議論とどうつなげていくかを論じなければいけない、そういう時期に来ています。 だから、『もう、学力低下論争は終わった』ということにしなければいけない。
『もう学力低下論争ではない』」このように考えてくると、確かに「学力低下論争」の意義が見えてきますね。 論争は1999年に始まりました。
それに先だつ90年代前半には学力低下は一部の大学人に意識されていたようです。 94年にN本数学学会内に「大学数学基礎教育ワーキンググループ」をつくり、学力に関する調査を開始しました。
そのメンバーだったのがK都大学のN村和雄さんやK義塾大学のT瀬信之さん、S玉大学のO部恒治さんで、彼らが99年6月に出版した『分数ができない大学生』(T洋経済新報社)は、初めて学力低下を実証したとして話題になりました。 ところがすでに『Vo1ce』(P研究所)99年1月号では、受験界を代表するW田秀樹さんが、この調査結果をいち早く取り上げています。
99年1月にはKTさんが高校生の学習時間の調査結果に基づいた議論をされています。 こうして99年の早い段階で、学力低下論争の火付け役を担った方々は登場しているわけです。

KTさんはあの時点で、どういうふうな見通しをお持ちだったのでしょうか。 「実は、私は98年の初頭から12月末まで日本にいなかったのです。
だから、日本で何か起きているかをリアルタイムでは知らなかった。 アメリカで階層と学習時間の研究をしていた。
もう少しさかのぼると、子どもたちの間で学習離れが起きているということを95~96年頃に気が付いて、論文も書いています。 その時点では、自分の調査データではなく、ほかの機関がやった調査をもとにした議論だった。

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